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「中野のひと」インタビューVol.7 〜 森田 貴宏さん

なんど大怪我しても
ボードから離れられなかった。
人間ってどうせ立ち直る。

森田 貴宏さん

『「中野のひと」ポートレイト2019』について

中野にDIYクルーザー(※)の専門店「FESNラボラトリー」を構える、プロスケーターの森田貴宏さん。現代のスケートボードシーンを語るに欠かせない彼は、なんども骨折を繰り返し、医者に後遺症が残ると言われても、スケートボードから離れられなかったそうだ。

「始めたのは小学5年生のとき。最初は台湾製の超重いチープなスケートボードを買ったんだけど、飽きてすぐにやめちゃったんだよね。でも、それから中学生になってスケーターになって帰ってきた帰国子女の友だちの影響でスケートボードを再開した」

それからほぼ毎日ボードに乗り、25歳の時には47都道府県すべてを滑ったそう。そんな彼にとって中野は、最高のスケートタウンなのだとか。

「落ち着いているのに都会。いちばん好きな街だから、かれこれ20年以上住んでるもんね。魅力はやっぱり『中野サンプラザ』じゃない?サンプラザの形を模倣したセクションを作って滑ったこともあるよ」

「同じ道でも人の通りによって景色が変わるから、毎日発見があっておもしろい。日常の当たり前の景色もスケートに乗っているとその時々の変化を楽しめる」と続ける。

「スケートボードが俺を正しい道に導いてくれた。若いころから目立ちたがり屋だったせいで本当に色んなことが俺の周りでは起こった。良いことも、悪いことも。だけども道を外さなかったのはスケートボードという楽しみがあったから。ストリートというフィールドは常に色々な誘惑や事件、事故が起こるけど、スケートボードに集中することで俺は自分の身を守ってきた」

順調にスケートボードキャリアを積んで行き、コンテストシーンでも活躍してた10代後半。コンテスト中に右足首靭帯断裂という初めての大怪我に見舞われる。

「あまりにひどいケガをするとね、その痛みと感覚がフラッシュバックのように突然蘇ってくるの。俺は骨折だけで10回以上していて、それによって滑ることが怖くなっちゃった時期があった。気分転換にサーフィンへ行ったり、スノーボードをしてみたりといろいろやってはみたけど、何せお金が掛かってね。だからスケートビデオを撮り始めたのも怪我している間の暇な時間を使って周りの友だちの滑りを撮るところから始めたの」

その後自身のスケートショップを始めた森田さん。長いスケートボードキャリアで得た知識と経験を直接お客さんに伝えるショップマネージャー。そんなご自身もまたお客さんから教わること、学ぶことは多いという。

「今まで経験したことなかったのね、店主になるってことは。でも何事も勉強でしょ?俺は一生現役のスケーターでいたいと思うから、ショップを経営している。こんなふうに自分の人生を楽しめるようになったのは、俺にスケートボードの魅力を教えてくれた人たちが居たからなの。だから自分流の超専門的なスケートショップをやって、のめり込む人の手助けをしたいと思う。世界中から中野にスケートボードしにくる人が増えたら超嬉しいじゃん!」

(※)【DIYクルーザー】
• DIY=英語 "Do It Yourself" の略。「自分でやろう」の意味。日曜大工のように、材料から自分で揃え、それらを組み立ててものづくりを楽しむこと。
• クルーザー=移動の手段などのために、街のなかを走らせるスケートボードのこと。

森田 貴宏

ホームタウンの中野区を拠点に10代からストリートの最前線で活躍するプロスケーター。スケートボードを中心に様々な映像作品の発表も続けている。中野駅南口にスケートボード専門店「FESN」を展開。

森田貴宏さんポートレート

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